1965年・・・・・。
そういえば、グラントハイツ(現・光が丘公園)の他に、調布の辺りには関東ビレッジ(現・味スタ付近)、
福生市の横田ベース(横田基地)、ジョンソン基地(現・入間基地)など、
1965年ころはまだありました。
ジョンソン基地(現・入間基地)
昭和13年12月に設立された陸軍航空士官学校が、終戦後、昭和20年に米軍に接収され、「ジョンソン基地」となりました。
ジョンソン基地は、昭和53年(1978年)9月に全面返還されました。
返還された基地は、航空自衛隊入間基地として管理使用しています。
航空自衛隊入間基地で有名なのは入間航空祭です。
昭和37年(1962年)1月18日第1回入間航空祭が開催されたのが始まりです。
中1の時に、初めて入間航空祭に行きました。
ブルーインパルスよりもチョコレートのロールケーキが記憶にあります。
入間航空祭・・・
入間航空祭で人気が高いのはブルーインパルスの展示飛行です。
ブルーインパルスは、宮城県松島基地第4航空団に所属する第11飛行隊です。
ブルーインパルスの機体。
初代ブルーインパルスがF-86セイバー、T-2練習機、T-4練習機と移り変わり、
昭和56年(1981年)にF-86からT-2に変わり、
F-86の引退式は昭和57年(1982年)2月8日に入間基地で実施
平成8年(1996年)第29回入間航空祭でT-4練習機のブルーインパルスは
入間基地で初飛行展示。
F86セイバーは1964年(昭39)10月10日・東京 オリンピック競技大会の開会式で国立競技場上空に
オリンピックのシンボルマーク・五輪をスモークで描きました。
現在、スモークは環境対策の為、白一色です。
オリンピックのシンボルマーク・五輪カラーは・・・青・黄・黒・緑・赤です。
F-86セイバーという機体。
F-86FエンジンをJ47-GE-27(推力 26.3kN)に強化した型。F-86シリーズにおいて最も多くが製造された型で、2,239機を製造した。-F-1、-F-2、-F-10、-F-15、-F-20、-F-25、-F-26、-F-30、-F-35、-F-40といったサブタイプがあり、-F-2型のみ試験的に機銃がM39 20mm機関砲4門に変更されている。-F-25型と-F-30型[注釈 4]からは主翼下ハードポイントが従来の2箇所から4箇所に増設された他、製造途中で主翼の前縁を6インチ、翼端を3インチ延長し、前縁スラットを廃止する代わりに境界層板を取り付けた「6-3翼」が導入され、最高速度と運動性が向上した。アメリカ空軍で運用されたのは核爆弾の運用能力を得た-F-35型までで、純粋な海外供与用となった-F-40型では低速時の操縦性改善のため前縁スラットが復活し、翼端がさらに12インチ延長された。アメリカ空軍の「6-3翼」装備機も後に-F-40型相当の主翼に改修されている。
前縁スラット・・翼端失速を防ぐ装置。戦闘機は運動性能が良くなる。
翼端失速・・・・翼端から空気の流れが離れること(失速)を表します。後退翼機(F-86F)に多い?
境界層板・・・・説明には5ページくらい使います。省略します。
下記のモデルは前縁スラットではなく境界層板を取り付けた機体です。
MIG-15はライバル機です。
1/72 完成品 37104 ノースアメリカン F-86F 第51戦闘迎撃航空団 第39戦闘迎撃飛行隊 朝鮮戦争 1953年
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戻ってきたら一杯の日本茶です。 ・・・ アメリカンな記事だからcoffeeにします。
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