65sgg・鹿之助ブログ

1953年製のジジィが、 日々、気になったこと 体験したことを書き連ねています。

65s 逝った後のこと・・・。

逝った後のこと・・

逝った後・・・・・通夜・火葬・納骨という段取り。

その後は、法事を重ねていくことになるけど・・・・・。

 

自宅に安置して故人を偲ぶ・・・というタイトルの記事を読んだ。 

「自宅には仏壇がないけれど、亡くなった人を偲ぶものを置いておきたい」

「お墓や仏壇はあるものの、兄弟や子供が、それぞれの自宅で故人を偲べるようにしたい」

「お墓が遠くにあるので、お墓参りをすることがなかなか難しい」

「散骨をしたいのでお墓は必要ない」

 故人を偲べるものを身近に置いておきたいと考える人も少なくない。

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そうした思いを反映した品物を手元供養品というらしい。

手元供養品の形態は「分骨納骨型」と「遺骨加工型」がある。

 

へぇ~、そうなんだ。・・・とはいうものの

                 ↓f:id:sika65sgg:20181130233425j:plainこれで親の手元供養しています。

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それを自身に置き換えて考えると・・・故人を偲ぶ必要は無いと考えている。

この先は、精神世界?・・・残された人たちの想いを優先すれば良いと思っているから。

只、

法事・・・

普段会う機会が少ない兄弟や親戚に会う時間を故人が作ってくれたという感謝はあります。

 

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川に遊ぶときには川の神様、森に入った時は森の神様・・・等、八百万の神には敬意をはらいます。

八百万の神・・・やおよろずのかみ

八百万の神

自然のもの全てには神が宿っていることが、八百万の神の考え方であり、欧米の辞書にはShintoとして紹介されている。日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考えることから八百万の神と言われるようになったと考えられる。八百万とは無限に近い神がいることを表しており、多神教としてはありふれた考え方である。 またこういった性格から、特定能力が著しく秀でた、もしくは特定分野で認められた人物への敬称として「神」が使われることがある。

そんな神様の中でも・・・

最も敬意をはらっている神様は・・・拙宅におわす山の神(妻)・・・です。 

 

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ミンナニワガママジジィトヨバレ・・・
ホメラレモセズ・・・、

クニモサレズ・・・、

キラワレモセズ・・・
サウイフジジィ二、ワタシハナリタイ・・・

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photo鹿之助     

 

 See you later !