白いカーネーション・赤いカーネーション
・・・・・母の日に想うこと・・・・
母の日は今から100年以上前にアメリカで誕生した記念日です。
アンナ・ジャービスという女性が生前のうちに母に感謝や尊敬の気持ちを伝える機会を設けようという運動を始めた。地元のウエストヴァージニア州で母の日の制定が認められ、
1914年にはアメリカ連邦議会で5月の第2日曜日が国民の祝日「母の日」と
制定されました。
日本に伝わってきたのは、明治~大正時代ごろです。
このころから母の日は徐々に世間に広まっていったのですが、日本で母の日が
メジャーなイベントになったきっかけは、1937年(昭和12年)に森永製菓が
5月の第2日曜日を「母の日」と告知をしたことでした。
その後、戦中の混乱を抜け日本では
終戦後の1947年には正式に5月の第2日曜日が母の日として制定されます。
白いカーネーション・赤いカーネーション・・・・。
母の日には
母親がいない人は白いカーネーションを贈る。・・墓前供える?
母親がいる人は赤いカーネーションを贈る。
その訳・・・・
アンナの母親は白いカーネーションが大好きでした。
母親の追悼式において、アンナは白いカーネーションを祭壇に飾りました。
・・・小学生のころ
母の日を前に学校で、カーネーションの造花に『お母さんありがとう』という
メッセージを付けたものが配られました。
白いカーネーションの造花と赤いカーネーションの造花です。
赤と白の意味合いは
お母さんがいる生徒は赤いカーネーションの造花
お母さんがいない生徒は白いカーネーションの造花・・・でした。
いま時勢から考えればなんとも残酷な感じがします。
その生徒のプライベートが一目瞭然!・・・です。
・・50年以上も前のことなので、それをいまの時代に照らし合わせて云々すること
自体無意味ですが母の日が近づくとそんなことを思いだします。
・・今、考えると子どもには、残酷な仕打ち?だったなぁと思います。
けれど当時の世の中は、白いカーネーションの子にだけでなく、
今よりも少しだけ世の中が優しかったような気がしています。
白いカーネーションは亡くなったお母さんに贈るもの。
白いカーネーションの花言葉の1つに「亡き母を偲ぶ」・・と言います。
白いカーネーションを持ってお墓詣り・・・。
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ミンナニワガママジジィトヨバレ・・・
ホメラレモセズ・・・、
クニモサレズ・・・、
キラワレモセズ・・・
サウイフジジィ二、ワタシハナリタイ・・・
photo鹿之助
See you later !
☆ありがと
PohtoAC